イエローストーン国立公園 (Yellowstone National Park) はアイダホ州、モンタナ州、及びワイオミング州に位置するアメリカ合衆国の国立公園である。イエローストーンは世界最古の国立公園であり、ワイオミング州北西部を中心として3,470平方マイル(8,980平方km)にわたる。この国立公園は様々な間欠泉や温泉、地熱によるその他の見所で有名であり、グリズリーや狼、及びアメリカバイソン(バッファロー)やワピチの群れが生息している。ここは地上に残された数少ない手付かずの巨大温帯生態系の一つであるイエローストーン圏生態系の中心になっている。
参考:wikipedia
2008年6月15日
2008年4月25日
ピサのドゥオモ広場
世界遺産に登録されたのは、1987年。ピサのはずれにあるドゥオモ広場に建つ、洗礼堂、大聖堂、鐘楼、墓所回廊の4つが印象的である。ピサのこのころの繁栄を象徴した建物群である。特に鐘楼はピサの斜塔として有名。
ピサのドゥオモ広場は、ピアッツァ・デイ・ミラーコリ (Piazza dei Miracoli) やカンポ・デイ・ミラーコリ (Campo dei Miracoli) とも呼ばれ、奇跡の広場という意味である。
主な構造物
鐘楼(ピサの斜塔)
詳しくは、ピサの斜塔を参照
円筒形の8階建てで、階段は296段(※294段という説も)ある。高さは55m。円筒形の外径は約20m、内径は約4.5m。建物全体の総重量は、14,453t(推定)。
1173年8月9日に着工、幾度もの工事中断、1372年に完成、と非常に長い期間に渡って建築工事が行われた。工事が長引いた原因は、着工直後から始まった塔の傾きである。このため、塔は本来100m以上の高さを予定されていたが、約半分の高さでの完成を余儀なくされたといわれている。アルノ川が運んできた砂地が含まれていたため、建物の基礎を深く作るには地盤が弱過ぎた事が、傾きが生じた主な原因とされている。塔は現在、中心線から南に向って約4m(1350年の時は1.8m) 、角度にして約5度傾いている。
16世紀に、ガリレオ・ガリレイによる落下の実験が行われたという伝説が残っているが、ガリレオがピサで実験を行った事実は無いとされている。
設計者は未だ分かっておらず、現在論争中。ボンナーノ・ピサーノ説が通説であるが、近年の研究では、ディオティ・サルヴィ説が有力。
近年傾斜の増加が著しくなったため、1990年に一時立ち入り禁止となった。 そして2001年12月、10年間にわたる傾斜防止作業が終了し、一般公開を再開した。
大聖堂(ドゥオモ)
大聖堂大聖堂(ドゥオモ)は、緑の芝生が生える広場の中央にそびえる。都市国家であったピサが、1063年にパレルモ沖でサラセン艦隊を破ったことを記念して建築を始めたといわれる。
建物の構造は、奥行きが約100m、幅約30mで、上から眺めるとラテン十字の形をしている。内部は、円柱が密に並び、五廊式となっている。使用された円柱の多くは戦利品として、パレルモの古代遺跡から運ばれたものともいわれ、内装はビサンティン様式の影響も見える。建造物自体はロマネスク建築と考えられている。
建物内部にはピサの人々に愛された、聖ラニエリとハインリッヒ7世の墓がある。
ガリレオのランプは、身廊のほぼ中央に吊り下がっているブロンズ製のランプで、ガリレオがこのランプの揺れをみて振り子の等時性を発見したと伝わっているが、これも事実ではないと考えられている。
説教壇は、14世紀の始め頃に作られた、イタリア・ゴシック様式を代表する彫刻として知られている。
洗礼堂
洗礼堂洗礼堂は、大聖堂の西側に建っている円筒形の建物。直径約35m。着工は、1152年で完成には200年以上を要した。全体は白い大理石で、建物の下側がロマネスク様式で大聖堂と同じような列柱とアーチで装飾されている。しかし上側はゴシック様式を示している尖塔群で装飾された珍しい建物である。
墓所(カンポサント)
大聖堂の北側にはアーチの連続する回廊付の美しい中庭を持つ墓所がある。回廊の壁には14世紀に描かれたフレスコ画があった。しかしながら、第二次世界大戦での空襲でほとんど消失してしまった。
参考:wikipedia
ピサのドゥオモ広場は、ピアッツァ・デイ・ミラーコリ (Piazza dei Miracoli) やカンポ・デイ・ミラーコリ (Campo dei Miracoli) とも呼ばれ、奇跡の広場という意味である。
主な構造物
鐘楼(ピサの斜塔)
詳しくは、ピサの斜塔を参照
円筒形の8階建てで、階段は296段(※294段という説も)ある。高さは55m。円筒形の外径は約20m、内径は約4.5m。建物全体の総重量は、14,453t(推定)。
1173年8月9日に着工、幾度もの工事中断、1372年に完成、と非常に長い期間に渡って建築工事が行われた。工事が長引いた原因は、着工直後から始まった塔の傾きである。このため、塔は本来100m以上の高さを予定されていたが、約半分の高さでの完成を余儀なくされたといわれている。アルノ川が運んできた砂地が含まれていたため、建物の基礎を深く作るには地盤が弱過ぎた事が、傾きが生じた主な原因とされている。塔は現在、中心線から南に向って約4m(1350年の時は1.8m) 、角度にして約5度傾いている。
16世紀に、ガリレオ・ガリレイによる落下の実験が行われたという伝説が残っているが、ガリレオがピサで実験を行った事実は無いとされている。
設計者は未だ分かっておらず、現在論争中。ボンナーノ・ピサーノ説が通説であるが、近年の研究では、ディオティ・サルヴィ説が有力。
近年傾斜の増加が著しくなったため、1990年に一時立ち入り禁止となった。 そして2001年12月、10年間にわたる傾斜防止作業が終了し、一般公開を再開した。
大聖堂(ドゥオモ)
大聖堂大聖堂(ドゥオモ)は、緑の芝生が生える広場の中央にそびえる。都市国家であったピサが、1063年にパレルモ沖でサラセン艦隊を破ったことを記念して建築を始めたといわれる。
建物の構造は、奥行きが約100m、幅約30mで、上から眺めるとラテン十字の形をしている。内部は、円柱が密に並び、五廊式となっている。使用された円柱の多くは戦利品として、パレルモの古代遺跡から運ばれたものともいわれ、内装はビサンティン様式の影響も見える。建造物自体はロマネスク建築と考えられている。
建物内部にはピサの人々に愛された、聖ラニエリとハインリッヒ7世の墓がある。
ガリレオのランプは、身廊のほぼ中央に吊り下がっているブロンズ製のランプで、ガリレオがこのランプの揺れをみて振り子の等時性を発見したと伝わっているが、これも事実ではないと考えられている。
説教壇は、14世紀の始め頃に作られた、イタリア・ゴシック様式を代表する彫刻として知られている。
洗礼堂
洗礼堂洗礼堂は、大聖堂の西側に建っている円筒形の建物。直径約35m。着工は、1152年で完成には200年以上を要した。全体は白い大理石で、建物の下側がロマネスク様式で大聖堂と同じような列柱とアーチで装飾されている。しかし上側はゴシック様式を示している尖塔群で装飾された珍しい建物である。
墓所(カンポサント)
大聖堂の北側にはアーチの連続する回廊付の美しい中庭を持つ墓所がある。回廊の壁には14世紀に描かれたフレスコ画があった。しかしながら、第二次世界大戦での空襲でほとんど消失してしまった。
参考:wikipedia
2008年3月15日
キンデルダイク=エルスハウトの風車網
キンデルダイク=エルスハウトの風車網は、ロッテルダムから約15km離れたところにある風車網である。
ポルダーの排水を行うために、1740年代に、19台の風車が建設された。この風車網は、オランダ国内で最大規模である。また、オランダの観光地の中で、最もよく知られた場所のひとつであり、1997年に、ユネスコの世界遺産に登録された。
歴史
キンデルダイクは、風車網として有名である。オランダにおいては、排水システムは最も重要な問題である。というのも、国土の70%以上が海面よりも低いからであり、その国土で生活するためには欠かすことができない。Alblasserwaard地方では、排水の問題に対しては、13世紀から問題になってきた。オランダ人は、干拓地に過度の水が入らないように大規模な運河を掘ってきた。これらの運河のことをオランダ語で、"weteringen"とよぶ。
運河の建設は国土全土に及んだが、しかしながら、この方法は、ほんの短い期間のみにしか有効でなかった。建築物の存在が地盤沈下をもたらし、同時に、川の水面の高さも再び上昇し始めた。ポルダー内の水面の維持を行う新たな方法が求められた。オランダ人は、風車網を建設することによって、水面がある一定レベルに到達した際には、風車のポンプを利用することで水面の維持を図った。また、ポンプによって川に排水されら水は再利用が可能となった。
とはいえ、水面を完全にコントロールすることは不可能であり、過去には、オランダでは、多くの深刻な洪水の被害をこうむっている。
参考:wikipedia
イギリス生活おもしろ発見
Team JOY 英国支部
ポルダーの排水を行うために、1740年代に、19台の風車が建設された。この風車網は、オランダ国内で最大規模である。また、オランダの観光地の中で、最もよく知られた場所のひとつであり、1997年に、ユネスコの世界遺産に登録された。
歴史
キンデルダイクは、風車網として有名である。オランダにおいては、排水システムは最も重要な問題である。というのも、国土の70%以上が海面よりも低いからであり、その国土で生活するためには欠かすことができない。Alblasserwaard地方では、排水の問題に対しては、13世紀から問題になってきた。オランダ人は、干拓地に過度の水が入らないように大規模な運河を掘ってきた。これらの運河のことをオランダ語で、"weteringen"とよぶ。
運河の建設は国土全土に及んだが、しかしながら、この方法は、ほんの短い期間のみにしか有効でなかった。建築物の存在が地盤沈下をもたらし、同時に、川の水面の高さも再び上昇し始めた。ポルダー内の水面の維持を行う新たな方法が求められた。オランダ人は、風車網を建設することによって、水面がある一定レベルに到達した際には、風車のポンプを利用することで水面の維持を図った。また、ポンプによって川に排水されら水は再利用が可能となった。
とはいえ、水面を完全にコントロールすることは不可能であり、過去には、オランダでは、多くの深刻な洪水の被害をこうむっている。
参考:wikipedia
イギリス生活おもしろ発見
Team JOY 英国支部
2008年2月29日
ストーンヘンジ
誰がいったい積んだのだろう?
円陣状に並んだ直立巨石とそれを囲む土塁からなり、世界で最も有名な先史時代の遺跡である。考古学者はこの直立巨石が紀元前2500年から紀元前2000年の間に立てられたと考えている。しかしそれを囲む土塁と堀は紀元前3100年頃まで遡るという。
馬蹄形に配置された高さ7mほどの巨大な門の形の組石(トリリトン)5組を中心に、直径約100mの円形に高さ4-5mの30個の立石(メンヒル)が配置されている。夏至の日に、ヒール・ストーンと呼ばれる高さ6mの玄武岩と、中心にある祭壇石を結ぶ直線状に太陽が昇ることから、設計者には天文学の高い知識があったのではないかと考えられている。また、当時としては高度な技術が使われており、倒れないよう安定させるため石と石の間には凹凸がある。
遺跡の目的については、太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、さまざまな説が唱えられているが、未だ結論はでていない。
この遺跡とその周辺は、1986年にユネスコの世界遺産に加えられた。また、登録古代モニュメントとして法的に保護されている。ストーンヘンジ自体は英国の国家遺産として保有・管理されている。周辺はナショナル・トラストが保有している。
語源
クリストファー・チッペンデールの Stonehenge Complete によると、ストーンヘンジの語源は古英語で石を意味する “sta-n” と、蝶番を意味する “hencg”(横石が縦石に蝶番のように積んであるから)もしくは絞首台または拷問具を意味する “hen(c)en” から来ているとされる。中世の絞首台は、今日見られるような逆L字型ではなく、二本の柱とそれに乗った横木で出来ていて、ストーンヘンジの構造に似ていた。
「ヘンジ」の部分はヘンジとして知られるモニュメントの一群を指す名前になった。考古学者は、内側に堀を持つ円形の土塁をヘンジと定義する。考古学の用語でしばしば起こる通り、これは古美術収集家の用語からの転用であるが、実際にはストーンヘンジは土塁が堀の内側にあるので、ヘンジには分類されない。本当の新石器時代のヘンジやストーンサークルと同時代であるにも拘らず、多くの点で非典型的である。例えば、トリリトンは他では見られない。ストーンヘンジは、ブロドガーのリングのようなブリテン島にある他のストーンサークルとは全く異なる。
参考:wikipedia
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円陣状に並んだ直立巨石とそれを囲む土塁からなり、世界で最も有名な先史時代の遺跡である。考古学者はこの直立巨石が紀元前2500年から紀元前2000年の間に立てられたと考えている。しかしそれを囲む土塁と堀は紀元前3100年頃まで遡るという。
馬蹄形に配置された高さ7mほどの巨大な門の形の組石(トリリトン)5組を中心に、直径約100mの円形に高さ4-5mの30個の立石(メンヒル)が配置されている。夏至の日に、ヒール・ストーンと呼ばれる高さ6mの玄武岩と、中心にある祭壇石を結ぶ直線状に太陽が昇ることから、設計者には天文学の高い知識があったのではないかと考えられている。また、当時としては高度な技術が使われており、倒れないよう安定させるため石と石の間には凹凸がある。
遺跡の目的については、太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、さまざまな説が唱えられているが、未だ結論はでていない。
この遺跡とその周辺は、1986年にユネスコの世界遺産に加えられた。また、登録古代モニュメントとして法的に保護されている。ストーンヘンジ自体は英国の国家遺産として保有・管理されている。周辺はナショナル・トラストが保有している。
語源
クリストファー・チッペンデールの Stonehenge Complete によると、ストーンヘンジの語源は古英語で石を意味する “sta-n” と、蝶番を意味する “hencg”(横石が縦石に蝶番のように積んであるから)もしくは絞首台または拷問具を意味する “hen(c)en” から来ているとされる。中世の絞首台は、今日見られるような逆L字型ではなく、二本の柱とそれに乗った横木で出来ていて、ストーンヘンジの構造に似ていた。
「ヘンジ」の部分はヘンジとして知られるモニュメントの一群を指す名前になった。考古学者は、内側に堀を持つ円形の土塁をヘンジと定義する。考古学の用語でしばしば起こる通り、これは古美術収集家の用語からの転用であるが、実際にはストーンヘンジは土塁が堀の内側にあるので、ヘンジには分類されない。本当の新石器時代のヘンジやストーンサークルと同時代であるにも拘らず、多くの点で非典型的である。例えば、トリリトンは他では見られない。ストーンヘンジは、ブロドガーのリングのようなブリテン島にある他のストーンサークルとは全く異なる。
参考:wikipedia
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2007年12月31日
モンサンミシェルとその湾
世界遺産と言えば必ず出てくるのがフランスにあるこの遺産である。
モン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)とはフランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院である。カトリックの巡礼地のひとつであり「西洋の驚異」と称されている。
ノルマンディー地方南部・ブルターニュとの境に近いサン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られる。
潮の満ち引きの差は15メートル以上ある。
このため、湾の南東部に位置する修道院が築かれた岩でできた小島はかつては満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていた。
島の入口には潮の干満時刻を示した表示があり、満潮時には浜に降りないようにと記されている。
最も大きい潮が押し寄せるのは満月と新月の28-36時間後といわれており、引き潮により沖合い18kmまで引いた潮が、猛烈な速度で押し寄せる。
このためかつては多くの巡礼者が潮に飲まれて命を落としたといい、「モン・サン=ミシェルに行くなら、遺書を置いて行け」という言い伝えがあった。
1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになった。
しかし、これによって潮流をせき止めることとなり、100年間で2mもの砂が堆積してしまった。
急速な陸地化が島の周囲で進行しており、島の間際まで潮がくることは滅多になくなりつつある。
かつての姿を取り戻すべく2009年には地続きの道路が取り壊され、2010年には代替となる新たな橋がかけられることが計画されている。
2007年12月25日
ジャイアンツ・コーズウェー
ジャイアンツ・コーズウェーは、イギリス・北アイルランドにある、火山活動で生まれた4万もの石柱群が連なる地域。
アントリム州ブッシュミルズの北2kmに位置する海岸線にある。
1986年にユネスコの世界遺産に登録され、翌年には北アイルランド環境省 (the Department of the Environment for Northern Ireland) によって自然保護区に指定された。
2005年には『ラジオ・タイムズ』誌 (Radio Times) の読者投票で、「イギリスの最も偉大な自然の驚異」ランキング第四位に選ばれている。
ジャイアンツ・コーズウェーは、ナショナル・トラストによって管理されている。
ジャイアンツ・コーズウェー(「巨人の石道」)の名は、アイルランドの伝説の巨人フィン・マックールに因む。
伝説では、彼がスコットランドの巨人ベナンドナーと戦いに行くためにコーズウェーを作ったとされる。
フィン・マックールはスコットランドへ辿り着く前に眠くなってしまった。
フィンがいつまで経っても来ないので、ベナンドナーは彼を探すために橋を架けた。ベナンドナーがフィンよりも大きいことを見て取ったフィンの妻ウナは、フィンに毛布を掛けて、フィンが子どもであるかのように見せかけた(異伝では、ベナンドナーの大きさを見て逃げ出したフィンは、赤ん坊のふりをさせてくれと妻に頼んだ)。
ベナンドナーは、「赤子」の大きさを見て、父のはずのフィンはもっと大きいのだろうと推測した。
そして、恐れをなして、コーズウェーを蹴散らしつつ逃げ出したという。
異伝では、妻ウナが岩に彩色してステーキに見せかけたものをベナンドナーに出し、「赤子」のフィンには普通のステーキを出したところ、「岩のように硬い」はずのステーキを「赤子」が易々と食べるのを見て恐怖したベナンドナーが逃げ出した、というものもある。
出展:Wikipedia
アントリム州ブッシュミルズの北2kmに位置する海岸線にある。
1986年にユネスコの世界遺産に登録され、翌年には北アイルランド環境省 (the Department of the Environment for Northern Ireland) によって自然保護区に指定された。
2005年には『ラジオ・タイムズ』誌 (Radio Times) の読者投票で、「イギリスの最も偉大な自然の驚異」ランキング第四位に選ばれている。
ジャイアンツ・コーズウェーは、ナショナル・トラストによって管理されている。
ジャイアンツ・コーズウェー(「巨人の石道」)の名は、アイルランドの伝説の巨人フィン・マックールに因む。
伝説では、彼がスコットランドの巨人ベナンドナーと戦いに行くためにコーズウェーを作ったとされる。
フィン・マックールはスコットランドへ辿り着く前に眠くなってしまった。
フィンがいつまで経っても来ないので、ベナンドナーは彼を探すために橋を架けた。ベナンドナーがフィンよりも大きいことを見て取ったフィンの妻ウナは、フィンに毛布を掛けて、フィンが子どもであるかのように見せかけた(異伝では、ベナンドナーの大きさを見て逃げ出したフィンは、赤ん坊のふりをさせてくれと妻に頼んだ)。
ベナンドナーは、「赤子」の大きさを見て、父のはずのフィンはもっと大きいのだろうと推測した。
そして、恐れをなして、コーズウェーを蹴散らしつつ逃げ出したという。
異伝では、妻ウナが岩に彩色してステーキに見せかけたものをベナンドナーに出し、「赤子」のフィンには普通のステーキを出したところ、「岩のように硬い」はずのステーキを「赤子」が易々と食べるのを見て恐怖したベナンドナーが逃げ出した、というものもある。
出展:Wikipedia
2007年12月22日
世界遺産登録基準 (3)
<複合遺産>
自然遺産と文化遺産を兼ね備えるものを複合遺産として登録することができる。
自然遺産と文化遺産の登録基準。
<負の世界遺産>
戦争や人種差別など人類の犯した罪を証明するような物件も世界遺産に登録されている。明確な定義付けがされているわけではないが、これらは別名負の世界遺産と呼ばれている。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所、原爆ドーム、トリニタード、奴隷貿易の拠点であったゴレ島、マンデラ大統領が幽閉された島ロベン島などである。また、タリバン政権によって破壊されたバーミヤン遺跡も負の遺産と見なされている。
参考資料:Wikipedia
自然遺産と文化遺産を兼ね備えるものを複合遺産として登録することができる。
自然遺産と文化遺産の登録基準。
<負の世界遺産>
戦争や人種差別など人類の犯した罪を証明するような物件も世界遺産に登録されている。明確な定義付けがされているわけではないが、これらは別名負の世界遺産と呼ばれている。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所、原爆ドーム、トリニタード、奴隷貿易の拠点であったゴレ島、マンデラ大統領が幽閉された島ロベン島などである。また、タリバン政権によって破壊されたバーミヤン遺跡も負の遺産と見なされている。
参考資料:Wikipedia
2007年12月21日
世界遺産登録基準 (2)
<自然遺産>
登録基準は以下の通りである。
(1) ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
(2)地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれる。
(3)陸上、淡水、沿岸および海洋生態系と動植物群集の進化と発達において進行しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。
(4)生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。
参考資料:Wikipedia
登録基準は以下の通りである。
(1) ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
(2)地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれる。
(3)陸上、淡水、沿岸および海洋生態系と動植物群集の進化と発達において進行しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。
(4)生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。
参考資料:Wikipedia
世界遺産登録基準 (1)
<文化遺産>
登録基準は以下の通りである。
(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
(5) 特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている、ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落または土地利用の際立った例。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
参考資料:Wikipedia
登録基準は以下の通りである。
(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
(5) 特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている、ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落または土地利用の際立った例。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
参考資料:Wikipedia
2007年12月20日
2007年に登録された世界遺産
2007年に新たに以下22の世界遺産が登録された。
これにより、2007年末時点での世界遺産登録数は851となった。
日本の「石見銀山遺跡とその文化的景観」も登録されました。
ゴブスタン・ロック・アートの文化的景観:Gobustan Rock Art Cultural Landscape
(アゼルバイジャン:文化遺産)
古代都市サマラ:Samarra Archaeological City
(イラク:文化遺産)
レッド・フォート建造物群:The Red Fort Complex
(インド:文化遺産)
済州(ジェジュ)火山島と溶岩窟:Jeju Volcanic Island and Lava Tubes
(韓国:自然遺産)
中国南方カルスト:South China Karst
(中国:自然遺産)
開平(カイピン)の望楼(デャオロウ)と集落:Kaiping Daiaolou and Villages
(中国:文化遺産)
ニサのパルティア要塞都市:The Parthian Fortresses of Nisa
(トルクメニスタン:文化遺産)
石見銀山遺跡とその文化的景観:Iwami Ginzan Silver Mine and its Cultural Landscape
(日本:文化遺産)
シドニーのオペラ・ハウス:Sydney Opera House
(オーストラリア:文化遺産)
カルパチアのブナ原生林:Primeval Beech Forests of the Carpathians
(ウクライナ/スロバキア:自然遺産)
コルフ旧市街:The Old Town of Corfu(ギリシャ:文化遺産)
ラボー、湖とアルプスを望むブドウ園段丘:Lavaux, Vineyard Terraces overlooking the Lake and the Alps
(スイス:文化遺産)
テイデ国立公園:Teide National Park
(スペイン:自然遺産)
ガムジグラーダ-ロムリアーナ、ガレリウス宮殿:Gamzigrad-Romuliana, Palace of Galerius
(セルビア:文化遺産)
ボルドー、月の港:Bordeaux, Port of the Moon
(フランス:文化遺産)
ヴィシェグラードのソコルル・メフメット・パシャ橋:Mehmed Pasa Sokolovic Bridge in Visegrad(ボスニア・ヘルツェゴビナ:文化遺産)
リドー運河:The Rideau Canal
(カナダ:文化遺産)
メキシコ国立自治大学の中央大学都市キャンパス:Central University City Campus of the Universidad Nacional Autonoma de Mexico
(メキシコ:文化遺産)
ロペ-オカンダの生態系と残存文化的景観:Ecosystem and Relict Cultural Landscape of Lope-Okanda
(ガボン:複合遺産)
トワイフェルフォンテイン:Twyfelfontein
(ナミビア:文化遺産)
アツィナナナの熱帯雨林:Rainforests of the Atsinanana
(マダガスカル:自然遺産)
リヒターズベルドの文化と植物の景観:The Richtersveld Cultural and Botanical Landscape
(南アフリカ:文化遺産)
これにより、2007年末時点での世界遺産登録数は851となった。
日本の「石見銀山遺跡とその文化的景観」も登録されました。
ゴブスタン・ロック・アートの文化的景観:Gobustan Rock Art Cultural Landscape
(アゼルバイジャン:文化遺産)
古代都市サマラ:Samarra Archaeological City
(イラク:文化遺産)
レッド・フォート建造物群:The Red Fort Complex
(インド:文化遺産)
済州(ジェジュ)火山島と溶岩窟:Jeju Volcanic Island and Lava Tubes
(韓国:自然遺産)
中国南方カルスト:South China Karst
(中国:自然遺産)
開平(カイピン)の望楼(デャオロウ)と集落:Kaiping Daiaolou and Villages
(中国:文化遺産)
ニサのパルティア要塞都市:The Parthian Fortresses of Nisa
(トルクメニスタン:文化遺産)
石見銀山遺跡とその文化的景観:Iwami Ginzan Silver Mine and its Cultural Landscape
(日本:文化遺産)
シドニーのオペラ・ハウス:Sydney Opera House
(オーストラリア:文化遺産)
カルパチアのブナ原生林:Primeval Beech Forests of the Carpathians
(ウクライナ/スロバキア:自然遺産)
コルフ旧市街:The Old Town of Corfu(ギリシャ:文化遺産)
ラボー、湖とアルプスを望むブドウ園段丘:Lavaux, Vineyard Terraces overlooking the Lake and the Alps
(スイス:文化遺産)
テイデ国立公園:Teide National Park
(スペイン:自然遺産)
ガムジグラーダ-ロムリアーナ、ガレリウス宮殿:Gamzigrad-Romuliana, Palace of Galerius
(セルビア:文化遺産)
ボルドー、月の港:Bordeaux, Port of the Moon
(フランス:文化遺産)
ヴィシェグラードのソコルル・メフメット・パシャ橋:Mehmed Pasa Sokolovic Bridge in Visegrad(ボスニア・ヘルツェゴビナ:文化遺産)
リドー運河:The Rideau Canal
(カナダ:文化遺産)
メキシコ国立自治大学の中央大学都市キャンパス:Central University City Campus of the Universidad Nacional Autonoma de Mexico
(メキシコ:文化遺産)
ロペ-オカンダの生態系と残存文化的景観:Ecosystem and Relict Cultural Landscape of Lope-Okanda
(ガボン:複合遺産)
トワイフェルフォンテイン:Twyfelfontein
(ナミビア:文化遺産)
アツィナナナの熱帯雨林:Rainforests of the Atsinanana
(マダガスカル:自然遺産)
リヒターズベルドの文化と植物の景観:The Richtersveld Cultural and Botanical Landscape
(南アフリカ:文化遺産)
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